イケハヤさんvs.motoさんの対立について、結論を出してみた。
昨日イケハヤさんにケンカを吹っ掛け、それを懇切丁寧に論破され、ぐうの音も出なかったじゅんちゃんです。
さて、今回イケハヤさんとmotoさんが対立した件について、一晩おき、自分なりの結論が出たので晒してみます。
まず概要について三行で
- マナブさんがコロナウィルスについて不適切とも取れる発言をツイートする
- motoさんが当該ツイートを非難
- イケハヤさんがマナブさんは間違っていないとmotoさんを非難←炎上なう
その間、余興として私(じゅんちゃん)がイケハヤさんにケンカを吹っ掛け、ものの見事に論破されたわけです。
詳しくは前日のブログで →
junchan614.hateblo.jp
さて、それでは今回の件について自分に出来る限り客観的に俯瞰して反芻してみました。
まず、まなぶさんの最初のツイートの意図は
「トレンドとなっている話題に対してブログを書けばたくさんの人に読まれやすく、そのような状況で作業するからこそ、他人の目線を強く意識し、文章力が成長する。」
至極真っ当な事を言っているように見える。
次に、motoさんの話を以下に抜粋
「コロナ」というワードに過敏になっているこの世間で、過去にも医療関係で低信頼度の記事が流通し、問題になった経緯がある。それをネタにして記事にするのは不適切である。
なるほど、そうだったのか。知らなかった。彼の言う「ユーザー第一」の思想とは、自分の言動に責任を持ち、不幸になる人を出さないという事なのかな?とても的確な反論だ。
最後にイケハヤさん。
一つのツイートを悪いように解釈して拡散するのは卑怯だ。
シンプルに、なるほど。 確かにマナブさんの発信は普段から不適切なものが目立つわけではなく、今回は例外的なツイートだったように見える。
で、ここでイケハヤサロン内でこの一件をシェアし、「対立コンテンツ」について講義。
- 対立はコンテンツ力を持つ
- 人は対立、摩擦を見るとアクセスを稼げる。
(じゅんちゃん的補足、人は古来から争いを察知したら生存危機とみなし防衛本能が働くため、ネガティブな情報にはポジティブ情報より7倍も注目を集める。)
うん、なるほど。全くわからん。
今回の一件、本質はどこにあるんだ?
というわけで一晩寝て、考え直してみました。
で、私なりの結論を出しました。
「人の対立はどうでもいい。」
めちゃくちゃ大雑把な結論なので解説します。
ここに出したお三方とも、至極真っ当な事しか言っていないです。
それもそのはず、彼らは発信のプロであり、知識や教養が我々一般人よりはるかに高いです。
それなら教養人である彼らはなぜ意見が食い違い、対立が起こるのか。
それは、価値観が異なるためです。
私たちみんな経験したものが違うので、価値観が同じ人なんて世界中に一人もいません。
彼らは自分の価値観に強い芯があるからこそ、自分とズレる意見に対してはっきりと対立するのです。
そしてもっと言えば、彼ら(特にイケハヤさん)は意図的に「対立しやすいコンテンツ」を意識して作っています。
普段のYouTubeでの「勉強しない人を馬鹿にする態度」など、はっきりと立ち位置を明確にし、わざと「アンチが叩きやすい自分像」を作っているのだと思います。
イケハヤさんにとって、「アンチはいた方がいい」のです。
なぜならアンチとの対立が最大の自分自身の広告になるからです。
話を戻して、
インフルエンサーのフォロワーである我々は、彼らの発信に対してどう振舞えば良いのでしょう?
「Aさんの意見に共感です!Bさんは○○だから嫌いです」 と、共感すればいいのでしょうか?
違うと思います。
それはただの同調で、ほとんど思考停止で出た言葉でしょう。
それなら、彼らのログをよく見て、どちらが正しいのか精査し、片方を糾弾するべきなのでしょうか?
違うと思います。
この件については、イケハヤさんが相手に対して「嫌いだ」と明言している以上、議論にはなりません。
当然、彼らの意見は双方とも正しく、折り合うことは無いのです。
結局対立コンテンツの中身は価値観の相違だけであって、具体的な解法も正否もありません。
それならどうすればいいか、
ここで結論、「どうでもいい」です。
イケハヤさんは友人であるマナブさんを侮辱されたため、その憤りを露にし、motoさんを糾弾しました。
さて、その現象は我々一般人に関係あるのでしょうか?
一切関係ありません。
なので、この件について深く考えることはハッキリ言って無駄な時間を過ごすだけです。
イケハヤさんはおそらく本心で怒っていましたが、しっかりと「これは対立コンテンツとして大きなネタになる」という意識を持ちながら、発信していました。
そして当然motoさん、マナブさんもこの件が「対立コンテンツのネタ」であることを意識して発信していると思います。
だからここまではっきり対立するのです。それが「おいしいネタ」であることを双方把握しているためです。
ネタとして大きいからアクセスが稼げるために公のSNSで対立し、この結果100のアンチが生まれても50のファンが得られれば彼らはそれでいいのです。
アンチもファンも、自分への告知力になります。
これが私達受信者にとっての知るべき本質なんだと思います。 (当人たちはしっかりと本心をぶちまけ合ってるだけだが)
なので、私は今後今回のような「対立コンテンツ」を見たら、「どうでもいい」と紐づけをしていこうと考えています。
例えば今朝も、このようなツイートを目にしました。
自分がフォローするアカウントの憤りに、これまでの自分だったら、「なんなんだろう?」とログを追ったと思います。
ですが、このような件はまず「自分には関係ない」のです。
なので、「どうでもいい」と1秒で判断を済ませて、それに割く時間を節約することが出来ました。
インフルエンサーは、私たちに有益な情報をもたらすだけではありません。
当然彼らは神様でもないので、感情を出し、自分の価値観に沿って行動します。
私たち一般人は、そんな他人のスキキライに付き合う余裕はないのです。
この記事は、決してインフルエンサーの方々を非難する意図はありません。
特にイケハヤさんはケンカ腰だった私の発言に対しても、ちゃんと意図していたことを丁寧に説明していただけました。
私にとってももちろん普段ならこのログを辿る時間は無駄になるところだったのですが、イケハヤさんから意図を教えていただけたので、「対立コンテンツ」について学ぶことが出来ました。
今回の件は、今後の情報社会においてかなり時間節約につながる考え方だと感じたので、今回記事にしてシェアしました。
もし一人でも共感する人がいれば幸いです。
それでは、情報に流されず、自分の頭でしっかり考える、より良い人生を目指しましょう!!